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山口地方裁判所 平成元年(行ウ)4号 判決

原告

白井利明

右訴訟代理人弁護士

松崎孝一

被告

山口労働基準監督署長

岡本英生

右指定代理人

橋本良成

外七名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が原告に対し昭和六一年三月一八日付けでした労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。

第二事案の概要

本件は、被告が原告の疾病は業務上の事由によるものではなく療養給付をしないとして原告に対してした労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)による療養補償給付支給に関する処分につき、原告の右疾病は業務に起因するものであるとしてその取消を求めたものである。

一争いのない事実

1  原告は、昭和五〇年五月から岡山県貨物運送株式会社山口支店(以下「岡山県貨物」という。)に雇用され、右山口支店と広島市内の広島主管支店(以下「広島支店」という。)との間を一一トン積みの大型貨物自動車で往復する定期便(以下「広島便」をいう。)の運転手として稼働していた。右広島便の運転手には原告のみが配属され、その勤務状況は、毎日午後四時四五分ころ自宅を出て、午後五時ころ山口支店に出勤し、荷積みをした後、午後七時ころに山口支店を出発し、国道二号線を通って広島支店まで行き、右支店において荷降ろしをした後、荷積み済みの別の大型貨物自動車に乗り換えて往路と同じ道路を通って山口支店まで帰り、右支店において荷降ろし作業を行った後退社していた。

2  原告は、昭和六〇年七月一二日、午後五時ころ出社し、車両点検、荷積みをした上、午後七時ころ一一トンの大型貨物自動車に乗務して広島市へ向けて出発したが、運行中の右同日午後八時ころ、防府市八王子付近の国道二号線道路上において脳内出血を発症し、退避措置を講じたが、十分な運転操作をすることができず、停車中の貨物自動車に追突して停止し(以下「本件事故」という。)、直ちに救急車で山口県立中央病院に直行して受診し、その結果、①左頭頂葉部に脳動静脈奇形があり、②左頭頂葉巨大脳内血腫、クモ膜下出血、脳室穿破、③脳ヘルニアを発症していると診断され(診断結果等につき、乙二、三、弁論の全趣旨。以下「本件疾病」という。)、翌一三日、病巣及び血腫の除去手術を受けた。

3  原告は、被告に対し、本件疾病につき、労災保険法に基づく療養補償給付請求をしたところ、被告は、原告に対し、昭和六一年三月一八日付けで、本件疾病は業務上のものではなく、右療養補償給付をしない旨の決定をした(以下「本件決定」という。)。

そこで、原告は、山口労働者災害補償保険審査官に対し、本件決定につき審査請求の申立てをしたが、右審査官は、昭和六一年八月二八日付けで右審査請求を棄却する旨の決定をしたので、原告は、労働保険審査会に対し、再審査請求をしたが、右審査会は、平成元年二月二八日付けで右審査請求を棄却する旨の裁決をし、右裁決書は、同年三月二二日、原告に到達した。

二争点

本件疾病が、業務に起因して発症したものであるか否かである。

第三争点に対する判断

一原告の勤務状況等

前記争いのない事実及び証拠(〈証拠〉)によれば、次の事実が認められる。

1  広島便における原告の勤務状況

(一) 原告は、概ね午後四時四五分ころ自宅を出て、午後五時ころ山口支店に出社し、運転車両(一一トン積みの大型貨物自動車)の点検をし、集荷時点においてすでにパレット及び台車に積載されている主に薬、ナイロンチップ等の雑貨類など二五〇ないし三〇〇個、一個の重量が平均二〇ないし三〇キログラム、総重量にして約五ないし六トン(少ないときで約三トン、多いときで約八トン。)の荷物の積み込みを原告一人で行い(右荷積みの際、重い荷物についてはハンドリフトを使用していた。)、右車両点検及び荷積みには約一時間を要した。

ところで、広島便の運行系統には二種類あって、そのひとつは、往路が山口支店から西部トラックターミナル(以下「広島西支店」という。)に立ち寄り広島支店まで、復路が広島支店から山口支店までのもの(以下「第一系統」という。)であり、他のひとつは、広島西支店に立ち寄らず山口支店と広島支店間を往復するもの(以下「第二系統」という。)であった。いずれの場合においても、原告は、午後七時ころ、山口支店を出発し、第一系統においては、国道二号線を通って所要時間約三時間三〇分で午後一〇時三〇分ころ広島西支店に到着し、そこで一部荷物の荷降ろしを所要時間約三〇分で行い、その余を休息時間に当てて、午後一一時三〇分ころ広島西支店を出発し、所要時間約三〇分で翌日午前零時ころ広島支店に到着し、荷降ろしを原告のみで所要時間約三〇分で行い(ただし、荷物の量により三〇分以上の時間を要することもあった。)、その余を休息時間に当てて、既に荷積みを了している別の大型貨物自動車に乗車して午前一時ないし二時に広島支店を出発し、往路と同じく国道二号線を通って所要時間約三時間で午前四時ないし五時ころ山口支店に到着し、広島支店から運送してきた総重量平均約八トン(少ないときで約五トン、多いときで一一トン。)の荷物を荷扱士とともに所要時間約三〇分ないし一時間で降ろし、その後、車両の点検をして午前六時三〇分ころ帰宅していた。また、第二系統においては、山口支店を出発して国道二号線を通って所要時間三時間三〇分ないし四時間三〇分で午後一〇時三〇分ないし一一時三〇分ころ広島支店に到着し、その後の荷降ろし又は荷積みあるいは運行等の勤務状況は第一系統と概ね同様であった。

(二) 帰宅後、原告は、風呂に入り、日本酒二合を飲みながら妻白井テル子(以下「テル子」という。)の準備した食事をとって午前八時三〇分ないし九時ころ就寝し、午後四時ころ起床するという生活を送っていた。

(三) 原告は、右(一)のとおりの勤務状況の広島便を一週に六回運行し、つまり、月曜日の午後七時ころ山口支店を出発して翌火曜日の午前四時ないし五時ころ山口支店に帰着し、また、同日の午後七時ころ山口支店を出発するという運行であって、土曜日の運行として日曜日の午前四時ないし五時ころ山口支店に帰着した後、日曜日は週休で、次は翌日である月曜日の午後七時ころ山口支店を出発するという勤務を繰り返し、休暇としては、右週休の外、祭日、盆休暇として二日及び年末年始休暇として六日があり、原告は右休暇を必ずとっていた。

原告は、昭和五〇年五月に岡山県貨物に雇用されて以降本件事故が発生した昭和六〇年七月一二日まで右広島便の運行を継続して担当し、昭和五五年以降の右便は一日一便のみで、原告一人が配属されていたものであるところ、本件事故発生前二週間の原告の勤務状況は通常の勤務と変わりなく(第一系統による運行が七日、第二系統による運行が五日であった。)、日曜日の週休もとっていた。つまり、右二週間における一回当たりの平均運行時間は7.125時間であり、休息時間を含む出社から退社までの拘束時間は約一三時間三〇分(ただし、毎日の出社及び退社時刻は必ずしも明らかではないが、山口支店出発時刻及び帰着時刻が通常の勤務の時刻と同じであるから、出社時刻を午後五時、退社時刻を午前六時三〇分として算出した。)であった。

2  原告の本件事故発生の前日及び当日の勤務状況と本件事故の発生

(一) 本件事故発生の前日(昭和六〇年七月一一日)の勤務状況は、第二系統による運行で通常の勤務とほぼ同様であったが、広島支店からの往路の国道二号線において、対向車が追い越しをし、原告の運転車両の前に飛び出してきたため、原告は、ハンドルを左に急転把したので衝突は免れたものの、右急転把により原告の車両が横転しかけるということがあった。

(二) 本件事故発生当日(同月一二日)においては、原告は、通常より自宅を出るのが約三〇分遅かったが、ほぼ通常の勤務どおりの作業に従事し、午後七時ころ山口支店を出発したところ、防府市の佐波付近において急に胸が苦しくなり、退避しようとしたができず、午後八時ころ、防府市八王子付近の国道二号線道路上において本件事故が発生し、山口県立中央病院に運ばれ、頭部CT検査により、左頭頂葉に脳動静脈奇形、脳内血腫、脳室穿破、クモ膜下出血及び脳ヘルニアが認められ、翌一三日、脳動静脈奇形及び脳内血腫の除去手術を受けた。

二原告の健康状態及び基礎疾病について

証拠(〈証拠〉)によれば、次の事実が認められる。

1  原告は、本件疾病発症前においては、特に病気に罹患したことはなく、食欲も十分にあって帰宅後は飲酒をして就寝する生活であり、頭痛等の訴えもなかったものであるが、昭和六〇年五月ころから、原告宅の隣家において増改築の工事をしていたこと等から、テル子に対し睡眠不足を訴えることがあり、また、そのころから体重が減少し、従前約七七キログラムであったものが、三か月間で六三キログラムになった。また、岡山県貨物においては、年に二回健康診断を実施していたが、原告は、右健康診断を受けていなかった。

2(一)  本件事故後に判明した左頭頂葉部の脳動静脈奇形(以下「本件基礎疾病」という。)は先天的なものであって、本件疾病である脳内血腫、脳室穿破、クモ膜下出血等の出血は右脳動静脈奇形を原因とするものであった。

(二)  ところで、脳動静脈奇形とは、胎生時原始血管網から動脈、毛細管、静脈などが分化する段階で毛細管が正常に分化発生しなかったため、動脈から毛細管を介しないで異常な血管網を通って直接静脈に短絡している血管奇形であって、右異常血管網の中では、血管拡張、動脈瘤の形成などが生じ、ここから出血を生じやすく、脳実質内に血腫をつくったり、脳室内に破れたり、クモ膜下出血を来すものであって、中でも脳動静脈奇形の七〇パーセントがクモ膜下出血を来すとされている。また、クモ膜下出血は、その原因疾患は多彩であるが、脳動脈瘤の破裂、脳動静脈奇形などを原因として、クモ膜下腔へ露出した血管の破裂により起こることがあり、脳動静脈奇形等を原因とするクモ膜下出血は、活動時にも安静時にも発症し、右発症の誘因となるものは一定せず、三六パーセントが睡眠中に発症している旨の報告もなされている。

三本件疾病に関する医師の診断及び意見の要旨

証拠(〈証拠〉)によると、山口県立中央病院の松瀬悦朗医師は、昭和六〇年七月一七日、原告の出血原因は先天的な脳動静脈奇形であるが、出血の契機として同人の運転業務が十分に関与していると思われる旨診断したこと(〈証拠〉)、山口県立中央病院の萬木二郎医師は、昭和六一年一月二〇日、運転中は血圧の変動が大きいことが多いため、原告の出血に同人の運転業務がある程度は関係がありそうである旨の診断をした(〈証拠〉)が、同年六月九日付け意見書において、一般に自動車運転中には生理学的に血圧の上昇、脈拍、呼吸等の変化が著しいことは証明されているが、これらは急に自動車の速度を上げたり、何かヒヤリとする様なことがあったりした時においてであり、原告においてトラックの運転は本職であって、ある程度の非常事態には慣れていると思われ、また、運転中又は運転前に何らかのトラブルがあったか否かは不明であり、原告の運転業務が血圧の変動にある程度影響したと考えたいが、明確なデータがなく、右松瀬医師の診断は明確な根拠に基づくものではない旨の意見を述べていること(〈証拠〉)、徳山中央病院の井原清医師は、昭和六一年六月一三日付け意見書において、原告が約一〇年間夜間集中の運転業務に従事し、休暇も完全に消化しており、労働時間量についても問題はなく、本件疾病発症前において業務に関する突発的な出来事又は特に過激な業務に就労した事実がないことから、精神的又は肉体的な負担が生じたとは認められず、本件疾病は業務上のものとはいえない旨の意見を述べていること(〈証拠〉)、宇部興産中央病院の渡辺浩策医師は、昭和六一年八月二一日受付の意見書において、原告の真面目な性格及び勤務態度から、運転業務開始早々は相当程度精神的に緊張し、血圧、脈拍の変動も多くなるものと考えられ、右精神的緊張から高血圧となり出血に発展したものであって、脳内出血の一因として右運転業務開始が関与すると判断する旨の意見を述べていること(〈証拠〉)が認められる。

四本件疾病の業務起因性について

原告は、原告の運転業務と本件疾病との因果関係について、①本件疾病は、業務の遂行による過度の精神的肉体的負担と本件基礎疾病とが共働原因となって発症したものである。②仮に、そうでないとしても、原告が本件疾病の発症前一〇年間にわたり、広島便の大型トラックの運転手として、夜間勤務のみに継続して従事したことにより本件基礎疾病が悪化し、あるいは右勤務継続による肉体的精神的過重負担による疲労蓄積により、発症時期が早められたものであり、原告がこのような業務に従事せず、通常の労務に服していたならば発症に至っていなかったものであるから、右因果関係は肯定されるべきである旨主張するので、以下検討する。

前記認定事実によると、原告の本件疾病は、本件基礎疾病を原因とするものであることが認められるところ、このように疾病が基礎疾病を原因とする場合で、当該業務が共働原因となって疾病が発症したときに、労災保険法(一条、七条一項一号)所定の業務上のものであること、すなわち業務起因性が肯定されるためには、単に業務がその一因をなしているというのでは足りず、当該業務が基礎疾病に比して相対的に有力な原因をなしていることが必要であると解するのが相当である。

1 そこで、原告の運転業務が本件基礎疾病と共働し、右疾病に比して相対的に有力な原因となって本件疾病が発症したと認められるかどうかについて案ずるに、原告の運転業務は、山口・広島間の比較的近距離であって、その運転時間も一日約七時間程度でそれほど長時間ではなく、原告は右広島便を本件発症まで一〇年間にわたって運行し、その間特に運行経路を変更したとは認め難いから、道路状況等右運行状況につき熟知していたと推認し得ること、右運行に伴う荷物の積み降ろし業務についても、山口支店における荷積み、広島西支店及び広島支店における荷降ろし業務の所要時間はいずれも通常三〇分内外であって、重い荷物はハンドリフトを使用することができ、また、山口支店における荷降ろしについては荷扱士の協力を得ていたこと、原告が右業務のため拘束される時間は一日約一三時間三〇分となるが、第一系統による運行においては、広島西支店において約三〇分及び広島支店において約一時間程度の休息時間があり、第二系統による運行においても広島支店において右と同様の休息時間があったこと、原告は、週休、祭日等の休暇を確実にとって消化しており、本件事故直前においても同様に週休をとっていること、さらに、本件事故当時又は直前の業務内容も通常の業務と変化がなかったこと、本件事故発生の前日の運行の際、対向車の追い越しにより追突事故が発生しそうになったことが認められるものの、原告が、右のとおり、一〇年間にわたって同一系統の運行を継続していることからして右事実が原告の精神的又は肉体的な過重な負担となったとは認められないこと、一方、原告の基礎疾病たる脳動静脈奇形は、本件疾病である脳内血腫、脳室穿破及びクモ膜下出血を来しやすく、中でも脳動静脈奇形の七〇パーセントがクモ膜下出血を起こし、さらに右クモ膜下出血はあらゆる状況下において発症する可能性があること、原告の本件疾病に関する業務起因性についての医師の判断は肯定否定双方が存在するが、これを肯定する松瀬医師の診断もその医学的根拠が明確ではなく、また、同様に業務起因性を肯定する渡辺医師の意見においては、本件疾病が運転開始早々に発症したことに着目するものであるが、運転開始早々であったとしても、原告が一〇年間同じ運行を継続していることに徴すると、本件基礎疾病を増悪させるほどの精神的な緊張があったとは認め難いこと、原告は、昭和六〇年五月ころから、睡眠不足を訴え、また、体重が減少していたが、その原因が原告の夜間勤務にあるとは断ずる資料はなく、かえって原告宅の隣家の増改築工事等による睡眠の妨げ等による影響が考えられること、以上の諸事情を総合勘案すると、原告の業務が本件疾病発症に何らかの関係を有したとしても、本件基礎疾病に比して相対的に有力な原因となって本件疾病が発症したものとは認め難く、むしろ本件事故時に原告の本件基礎疾病が自然的に悪化し、本件疾病が発症したものと認めるのが相当である。

よって、右①の主張は採用し難い。

2 次に、原告主張の右②の主張について案ずるに、原告が一〇年間にわたり大型トラック運転手として夜間勤務に継続して従事してきたとしても、前記認定説示のような原告の勤務・休暇の態様、とりわけ、職業的運転手として勤務し、また、特に病気に罹患することもない健康体であって必要な休養に務めており、そのことからすると、原告は通常の勤労者が感じる以上の疲労が蓄積した状態にあったとはいえないこと、本件基礎疾病は、クモ膜下出血を起こしやすく、右疾病を原因とするクモ膜下出血は活動時にも安静時にも発症し、かつ、その誘因となるものは一定しないこと等右疾病の症状の特質に徴すると、原告が一〇年間にわたり大型トラックの運転手として、夜間勤務を継続したことが本件疾病を悪化させたものとは即断し難いし、また、原告が右勤務により疲労が蓄積し、それが本件発症を早めたものともいうことができない。もっとも、証人白井テル子は、原告は本件疾病発症前において、疲労を訴えることがあった旨証言するところ、仮に右証言を信用するとしても、前記事実関係に徴すると、原告に疲労が蓄積しそれが本件発症を早めたものとの結論に至るにはいまだその資料が足りないというべきである。

よって、右②の主張は採用し難い。

五以上の次第で、原告の本件疾病につき、業務起因性が認められないとした本件決定は正当である。

(裁判長裁判官松山恒昭 裁判官大西良孝 裁判官橋本眞一)

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